今日フィッシュマンズのドキュメンタリーをみた。 見てから浮遊感というかお風呂で顔を沈めてぶくぶくしてる感じの感覚が続いて渋谷から中目黒まで歩いてさくっとご飯を食べてそこからまた散歩しながら家に帰って合計多分2時間ちょいくらいぷらぷら散歩していた。

評論家ではないし、自分の意見を何かしらの作品に対して言うのは苦手なので (いいモノに対して「いい!好き!」とは言えるけど具体的にどこが自分で良いと感じたかは伝えるのが苦手。というかどうしても人に対して空気を読んでしまうorバイアスを持たせてしまうところがあると感じるので言わないようにしてるというのもある。) 作品がどう!とか書くつもりはないけど自分がもった浮遊感という感情に対してなにが起因なんだろ、と考えていてなかなかこういう感情になることはないかな〜、なにがそうさせているんだ〜?と思って文章残しておくか、くらいな駄文。

「別れ」

多分これなんだと思う。自分はおそらく人と比較して「別れ」の経験が多いと思っている。 小学校、中学校はメキシコで日本人学校に通っていた。 そこの生徒は大体駐在員のコドモなので2~3年在籍して帰国するので毎年友達と「別れ」が発生する状況だった。

もちろん永遠の別れではない可能性もあるが、なんだかんだ数年学校が一緒だっただけで当時は仲が良かったとしても、別々のコミュニティーになればそちらの方が優先でフェードアウトしていくのが普通。 なのである意味別れに対して慣れていた。

でも中学校でおそらく今の自分に大きく影響している「別れ」があった。

大親友だと思っていた友達が急に不登校になって日本に帰国してしまった。

大親友だと思っていたからこそ何でも話せる間柄だと思っていた。 けれども相手の異変に自分は気づけないまま別れた。

13歳の時に離れてもう14年近く経つけど今だに「あの時こうできたんじゃないか」っていうひっかかりがある。

普段生きている時、もちろんずっと考えているわけではないが今日は思い出すトリガーになった。

もう本人とは連絡が取れないし(連絡先がわからない&Facebookとかも見つからない)おそらくこの先もこの話題になると脳味噌がすりガラスでもやっとした感じがするんだろうと思う。

別れがあったとしても

フィッシュマンズは今も、進化しながら今後も活動していく。

わたしも生きていく。

フィッシュマンズの別れの粒度は全然違うし、ただ、わたしのドキュメンタリーの受け取り方の話だがリンクした気がして浮遊感があったのかな?と自己解釈した。

とりあえず今日の夜はほどよく涼しくて、LONG SEASONを聴きながら帰るのは気持ちよかった。

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